「ラーバタス」および「らばた工房」作品の製作情報、製作者 高石ふう の自分語り(痛め)、防備録も兼ねております。
アナログが続いております。
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冷たい雨です。いかがお過ごしですか。ちょっと寒いどすね(どすね

前回アナログについて色々考えて、そのままその検証をしています。やっぱ、アナログ、楽しいです。
自分がデジタルでもっとも便利だと思うところは、失敗がいつでも回復できる事と、あとからいくらでも調整が効く所です。両方とも、「完成イメージが無い」時に威力を発揮します。

完成イメージ、持てばいいじゃん。そう思いましたよ。そうすれば、デメリットはすこしづつ無くなっていく。

「デジタルのほうが上手く描ける」

上手くなればいいじゃん。

「色をつけるのが便利」

あああーーーこれは揺るがないかーーーー たとえば今、アニメをセル塗り手塗りにしたら絶対無理よね。

あれ。でも、マンガは塗らないぞ?

うむ。ちゃんと考えよう。

ということで、次は、当たれば冬コミです。11月のコミティアは、らばたではなく、創作グッズモノででます。えろくないのです。なにそれって?ぬふふふ。色々やっておりますの。生きるために。
「暗記」の重要性
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ようやく過ごしやすくなってまいりましたね。今日はちょっと暑いですけど。で。涼しくなってくると恒例の、アナログを描きたくなるウェーブがきます。またですよ。なんなんですかねこれ。

で。我がタマシイはコレほどまでにアナログを欲するか?今回は具体的に考えてみました。以下、論文なので(どこに出すの)語尾えらそうです。

――結論から言う。アナログ描画の勝負は、「暗記性」である。芸事はほとんどの場合、暗記=会得した技術がモノを言う。継続してその事に取り組む事で、初歩的なことを自動化(無意識で出来るように)し。階段を上る。たとえれば、いつまでも、ピアノの鍵盤にドレミを描き、演奏の際にそれを探していたのでは、話にならないようなものだ。

もっと言えば、PCキーボードのブラインドタッチが解りやすいかもしれない。配列を指が覚えてくれれば、文章を考えながら打てるようになる。コレがキーを探しながらだと、どうしても思考がとまり、文章をつくるのにストレスを感じる。自分はネトゲの会話で、ブラインドタッチが出来るようになった。出来ないとチームでの戦闘に迷惑が掛かるからだ。

つまり自動化(無意識化)することで、意識の部分に空白の作業スペースを稼げる。ここはもっとこうじゃないか?こういったら伝わりやすいのではないか?と。これが、キーボードの例だと、ブラインドタッチが出来ないとキーを捜す事で精一杯で、文章を書くだけで大変な労力を使う羽目になる。

絵の話に戻る。たとえば。目を頑張って可愛く描く。可愛く描ける様になった=暗記したら、次に、その顔のバランスについて。顔のバランスがあたりまえに描ける様になったら、髪を。髪が描けるようになったら、首から下を、みたいに。この階段を上がるとき、新たに出来た作業スペースに「もう少し、こうしたら?」というのが出来る。

今、出た「頑張って」だが、ここに「自分の情熱」がある。「こんなふう描きたい」があるべきなのである。つまり「お手本」。逆に言えば「こう描きたい=描ける様になりたい」となって初めて、暗記というステップに移行する。――

以上が論文です。結局「暗記してかく部分が必要」という事を長く描いただけかもです。そういえば自分は、おっぱいの描画にはお手本がありもした。でも、実写だったので「線を探す」ことをしてしまう。なので、なかなか暗記(記号化)というところまで落とし込めなかったです。また、顔はプリキュアを描き始めてようやく、可愛く描きたいと思うようになりました。

顔が可愛く(場合のよっては少し崩れているのもスキである)自動的にかけるようになり、そして魅力的な体を。キモいモンスを。そこで初めて、こうしてやる!みたいな準備が出来る気がします。

「初めて」って。何年やってんだ。って話ですが。
冬コミは、そんなマンガ。予定。

新月の日に事件がおきました
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蒸し暑かった昨日にくらべて、なんとまあ涼しい事!創作意欲もわくというものです。
じつは、昨日は新月でした(え)。自分は月の運行で、精神的な部分がめっちゃ影響されます(え、何いってんのおまえ)。今日のはちょっと面白い……かな、どうかな。

いえ。実はですね。うちの近所に、なんかぶつぶつ言いながら、荷物なんだか廃品なんだかを乗せた小さなキャリーをひっぱり、さらには常に腕を振り回すじじーが出没するんです。服装はこぎれいとはとても言いづらく、ひげも伸び放題。ココまでの情報で、皆さんの印象はどうですか? 自分は、障がいのある方なのかなと思っていました。

で、先日。細い道でその人に遭遇。自分の進行方向前方でそれをやっています。うろうろしてるから抜かさないといけない。人がぴったりならんで3~4人ぐらいの幅の道。腕を振り回してるから、嫌だなぁとは思ったんです。でも、しょうがないから、行く。

追い抜きざま、危険確認半分、ガンとばし半分でそのじじーを見ると、じじーもこっちを睨み返し、その振り回す腕を自分の顔面に振ってきました。自分は反射的に右手で払ってしまって、左手を相手の顔面に主刀の形で止めてしまいました。あててはないですが、制圧するような構えです。座り込みはしませんでしたが、じじーの腰がくだけました。向こうの方で、工場のお兄さん達がこちらを見てるのが解りました。

そしたらじじー。しっかりした口調で「オマエは暴力を振るうのか!!?」と。あれ?ちゃんとその場に合った台詞が喋れるんだ……!?勝手に障がい者だと思い込んでたので、自分はびっくりしました。てかそれはこっちの台詞だけど。手刀はけん制の一瞬でひっこめました。ハタからみたらで、じじーに手をあげようとしてるおっさんですもん。

自分は、自分を押してくるじじーの手のひらに、自分の右手の甲をあてて、その右手に左手をそえて押し返していました。これで相手も無意識に、ひたすら押し返すだけになります。その結果、こぶしを振り上げたりとかの動作を制御できます。自分はその姿勢のまま「今オレを殴ろうとしたろ?どういうことだ!?」と聞きました。でもじじーは、「オマエは!!オマエハ暴力を!!」と続けています。

そして自分は、手の甲に力を受けながら同時に、じじーの焦りや、すこしの恐怖見たいなものを感じ取りました。可哀想だなぁ……と。でもそれよりも強く「孤独者が他者とコミュニケーションを取れている事へのうれしさ?」みたいなものも感じ取れました……「あれ?この場面に慣れている?」と。この時既に、あ、オレひっかかったのかなとはちょっと思っていました。

で。自分は「あの手はどういうことだ?」ともう一度聞きました。自分が想定していた返事は「お前が睨むからだ」ぐらいの、よくある水掛け論かなと思ったらなんと。「コレはこういう宗教なんだ!!!」と……びっくり。なんだそりゃ。でも、用意されていたコトバのように感じました。ああ、やっぱりだ。

「じゃあ悪かったな」と自分は手を下ろして、いや、何でオレがあやまるの?ぐらいに思いましたが、とにかく、これ以上はかかわりたくはないのです。で、そのまま歩きはじめましたが……すぐに、じじーは何事も無かったように。また手を降り始めました。

と、コレは前置きです。これで、いろいろな事を思いました。

・自分の理解できる範囲外の事を、「オカシイ人」と勝手にを決め付けていた事。
・多分、相手を自分より弱者(=ケンカになっても絶対負けないだろう)として、すぐに反撃体制をとってしまった事。手で払わないで除けれたはず。
・最初から自分が走って逃げれば良かったのに、それも癪だからしなかった事。
・おそらく孤独であろう者の、寂しさみたいなもの。

で。この一連の流れの中で、自分は一回も「腹を立ててない」んです。それが最もキモチの悪い「自分は正しい行いをしている、だから相手を成敗しても良い。しかも相手弱そう」です。すごく気持ち悪いです。

その日はずっと自己嫌悪でした。多様性を許す事ができない、身勝手な正義。あまりにも未熟で。

ただ、自分の身に着けている武術は、相手を屈服させるものではなく、相手を理解するものであるという教えは、すこしわかりました。解ったけど、やっぱ落ち込んでました。ダサいなぁと。

ダサいので、新月のせいにしました。頑張ります。
らばた定型

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ようやくイベントラッシュとソレに伴う準備ラッシュが終わり、平穏を取り戻そうとしてなかなかとり戻らない高石です。今週末は親族ネタ、月末は天下一武術大会です。皆様いかがお過ごしですか。台風すんごいですね。キャノン子は例によって本文と関係ありません。キャノン好き!!

で、先々週の続きで、その「革命」についてなのですが(おお!)自分はとくに「作品を完成させる事」についての推進力はそれなりに高いような気がします。期日をキメて、逆算して、ギリギリのところまでは踏み込むけど、それ以上やると締め切りを落とす、という時はやらない。そう、「完成させるために」作ってます。

で。これは、「いくらよいアイディアでも、完成していないものは、無いものと同じ」という考えです。間違ってはないでしょ。でも、逆に「完成していれば、とりあえずはOK」という安易な考えに落ちてしまう罠でもあります。自分に「よしよし、オマエは完成させたな。えらいぞ」ってどこかで言ってるのかもしれません。これがたぶん、未熟な革命。あんまり革命感ないですけど、ソレですごいと思いこんでしまう=思考停止なあたりが、未熟で革命なんです。

そりゃあ、「自分の好きなものを描く」のは、同人において、とても重要ですし、自分は好きじゃないものを描けません。でも「好きなものを描いたからOK」というのも、ちょっと違う気がします。好きなものをただ具現化するというのは、思い付きを書きなぐったノートみたいなもので。自分しか読めなかったらダメでしょ。

ノートをあとから見返せるようにするには、どうするか?下書きをすればいい?ノートとる時に下書き?なんかソレも変な感じ。だから、自分は見返せるような「定型」を作ればいいと思うのです。たとえば、アイディアが浮かぶ=「お姫様が触手にやられて、気持ちよくなってるうちに国が滅んでしまう」とします。

アイディアメモの走り書きは、上記になりますが、これをそのまま作品にしたら、「お姫様を描く」→「触手にやられる」→「ラストシーンで国が滅んでる」になっちゃうでしょ。コレでもいい人はいるかもですけど、この道10年超ですよ。芸がなさ過ぎます。

で。先ほどの「定型」。らばた定型みたいなものはありますけど、それをここで書くと興ざめなので、うちがほんわかいちゃラブサークルだったとします。

定型は「いちゃラブを」をどこで、だれと、どのように、という質問に答えることになります。
「お姫様と、触手の研究者」が、「城の隠れ部屋で」「触手を使って」……的な。結局「いちゃラブを見せる」ことが、そのサークルの本懐なので、「国が滅んでる」という劇的なシーンでも、スパイス程度に使う事になります。結局、この定型ってのは「これは国語のノートです」みたいなジャンル分けに近いのかもしれない。だから、解りやすくなるし、余計な説明が要らなくなる。

今日の話をまとめます。「好きな事だからOK」ならば、それを「見返せる=商品として価値がある」モノにして、製作する事。その為には「定型=本懐」を明確に持つ事。これなくして「自分は本気で作ったからOK」などと、ぬかしこきまろしない事。

冬コミ、あたりますように。