「ラーバタス」および「らばた工房」作品の製作情報、製作者 高石ふう の自分語り(痛め)、防備録も兼ねております。
本当は怖いぐぐり話
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梅雨の晴れ間は暑かったです。皆様のほうは如何ですか?思わず4Kモニタ買っちゃいました。作業領域爆広がりです。決戦への武器は整いました。あとはやるだけ。はやくやりなさい。

今週の高石はその、モニタ変更やら、お片付けやら。あ、あと、サンシャインでやってたARIAカフェ(コラボの)行ってきました。味は、ああいうトコに期待しちゃダメ。アレがアレで、アレでした。

今日のトピックは、また、精神論です。うふふ。昨今思う、「恐ろしい事」のおぼえがきです。

たとえば、何か解らない事があるとします。どうしますか?ぐぐりますよね。何秒後?PCかスマホがそこにあれば、要する時間はキーボードに到達するまでにかかる時間だけですよね。

そして答えが、あってるのかどうかわからないにしろ、グーグル先生からもたらされました。そしてそれを用いて、なんらかの問題を解決しました。

その後、どうなったと思いますか?そこにあるのは「ググって、問題を解決した答え」のみです。ハイおめでとう。

でも、ググらないで、自分で本で探して、人に聞いて、考えをまとめて答えをだした者は、その経験がのこります。また、副産物として、その本の著者の考え方や、尋ねた人の人柄、また。素材を並べて答えとするステップを学べます。

この両者は「目的」が違います。一刻も早く、その「答え」が欲しい時と、そこへたどり着いた「経験」が欲しい時では、その取るべき道が違うという訳です。

例えば、絵の話です。自分は、生きていかなければいけないので、「販売物」という結果はすぐに必要です。しかし、自分に描けないものは何、描きたいものは何、と試行錯誤して一つの作品を出すと「経験」が残ります。

前述のググるのおはなし。皆さんもご経験あると思いますが、ぐぐった結果なんか、すぐに忘れちゃうんです。その時だけ気持ちよくなるけれども。この一番恐ろしいのは「自分が何が解らないのか解らない」まま、歳を重ねてしまう事です。

連続ググりで、まるで成功体験を重ねたつもりになってしまうことは、とても恐ろしい事です。自分は何が出来て、何が出来ないのか? また、自分の出来る事で、買ってくださる方に何を提供できるのか? これが作品の「厚み」
に繋がると思っています。

記録する事は、処理。考えることは、創造。似てるように見えて、全然違う。処理は機械で出来ちゃうし、その方が早いし正確。とすると、その人間は、機械があれば、要らなくなる。

そんな人間になるものかー。

語った。