「ラーバタス」および「らばた工房」作品の製作情報、製作者 高石ふう の自分語り(痛め)、防備録も兼ねております。
ココロにある琴をジャーン
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こんにちわ。冬の入り口は暖かな関東平野ですが、皆様いかがお過ごしですか?文章の読みにくさで定評のある高石ブログです。いや、一応、推敲(のようなもの)してるんですよ。でも、いつか自分で読み返したときに、ああなんか、何かに自分、焦って書いてるなってのが解るのも良いかなと思いまして。でも、皆さんに最低限伝わるようには気をつけています。気をつけているのは最低限です。ああアタシの文章力だよ!!!そうさそうだよ!!!すみません開き直りました。

さて。コミケ、何とかお席を頂けまして。前回のブログにある「舞台」と「勝ちに行くのか?」について、考えをまとめました。手垢のつきまくった表現の「自分に勝つ」的なオチになるとおもいますが、いくばくかの段落ですのでお付き合いの程を<(_ _)>

DLはもとより、ピクシブ、ツイッターなど、「評価される数字」が明示されます。男の子は競争が大好きだったりします。おのれは何番目か?を知りたい生き物です。違う人もいるから異論は認めます。いろんないろん。

こないだのコミケは、席配置のせいにしてみましたが、じゃあ、よい席頂いてるならコンスタントに数字をだせるか?否です。買ってくださる方の琴線に触れないと金銭につながりません(←うまくない?)。だから、勝つとは、隣の人よりたくさん売れること。となりのそのとなりの、そして向かいの。そうなりますから、琴線触れまくりの作品が強い作品、と、いったん定義します。

でわ、琴線とは?琴の線だから、あなたの心の奥にある琴、そこに触れてびよーーんと、あなたの心を鳴らすことだと思ってます。本当の辞書の意味はしりませんこの意訳が気に入ってるから。なので、触れないと、ダメです。ではどうしよ、自分の琴が鳴るときはどういうときか?

んなもん、かんたんです「そうそう!!これこれ!!!」で、鳴ります。ジャンガジャンガなります。美しい絵を見たときも多少鳴りますが、「あー上手ー」っていう鳴り方です。というかむしろ、自分が描くときの参考にしたろ、という感覚です。でもそれならネットの資料で充分なので金銭は動かない琴線です。

ちょっと見えてきたでしょ? ブログはこういう思考の整理に役に立つからずっと続けてられてるのかも。で、金銭が動く琴線の作品をつくらねばいけなくて、それはつまり「共感、共鳴」ですよ。じゃあ、そこに歩いてる人の共鳴をさくっと作れるか?つまりそれがマスメディアのしごとで、「全米が泣いた」なのかな。より多くの公約数共鳴を探すわけです。あたしは泣く映画に行きたいと思ったことはありませんガ。

となると、共鳴は、自分からガーンと発して、誰かに受け取ってもらうほかなく。わかんないもん、人の琴(事)(←うまくない?)。ただ、自分の研究では、人の種族はイイトコ13です。白人、黒人、アジア人問わず、もっと心の中の、自分は「レース」と呼んでるもので。ほら、たとえば渋谷ハロウィン、アレ行かない人は、行く人理解できないでしょ。でも、行く人は一般に言う人種を問わず、一定数いるじゃない。だから、このレースは、そういうココロの部分の区分け。

なので、世界人口の13/1は、オレと共鳴できる。はず。キタコレ理論の裏付け。下手な鉄砲じゃない。強い共鳴を求めるなら、そこからさらに掘り下げる。公約数は少なくなるけど、共感は強くなる。

なので、自分が踊る舞台は、この、自分と同じレースの上で、喝采を浴びながら、踊るんだ。シャンシャンシャン。求められていない舞台は上がらないで、見るほうになればいいんだ。もしくは、自分の修行で、他流派試合と思えばいい。

ということで、冬コミ、新刊二種いきたし!!舞台さえ決まれば、こっちのものです。あれ、数を競う話は?俺のマルセイユルーレットを炸裂させてみせましょう。それはダンスではないね